起源

遷宮による清浄を寿ぐ町人の思い

西奈彌羽黒神社がまた西奈彌羽黒山大権現と呼ばれていた村上藩3代藩主・堀直竒

公の時代、藩主の篤い信心から「神社が城から見下す処にあるのは畏れ多い」とお城山から遷宮する案があがりました。

人々は移転先の地(千松山)に松を植えて清め、1633年(寛永10年)に遷座祭を執り行いました。総鎮守である羽黒さまが、お城山から社叢も新しい社殿も清浄となった千松山へ遷御されることを寿ぎ、大町の人々がお城から借りた大八車に太鼓を載せ、打ち鳴らしながら町中を練り歩き奉祝しました。これが西奈彌羽黒神社例大祭(村上大祭)の起源です。

御遷座にあたり3基の御神輿が寄進され、1669年(寛文9年)に榊原勝乗公が新調、その後も1852年(嘉永5年)に内藤信親公が寄進されるなど、歴代藩主からの庇護を受けました。信親公が寄進されたものが、現在の御神輿です。

歴史絵巻を未来の子どもたちまで

例大祭で3基の御神輿の巡行は町中をくまなくまわる神幸祭が中心です。

まもなく400年目を数えることから歴史絵巻とも例えられる行列は先太鼓を先頭に、庄内町の傘鉾・荒馬14騎、社名旗、四神旗、五色旗、稚児、神主、御神輿、御神馬、19町内のおしゃぎりの順で続きます。

江戸期には旧暦の6月6日、7日に行われていましたが、明治以降は新暦の7月6日、7日となり、現在まで続いています。

この一連の「村上祭の屋台行事」は、たくさんの担い手の情熱により1988年(昭和63年)3月25日に「村上まつりのしゃぎり行事」として新潟県無形民俗文化財に、2018年(平成30年)には国の重要無形民俗文化財の指定をいただきました。そして、2025年(令和7年)12月11日、ユネスコ無形文化遺産の「山・鉾・屋台行事」へ追加登録されました。

後世への伝え方、後継者の育て方、屋台など祭礼具の保全や補修、運営の方向性など、幅広い世代の担い手が「100年後の子どもたちへ繋ぎたい」と、情熱を新たに祭礼と故郷に向き合っています。

絢爛なおしゃぎりをはじめ、祭礼の情緒をたたえる御神馬や稚児、荒馬など見どころいっぱいのお祭りです。

町内ごとに趣向をこらしたおしゃぎりの「乗せ物」や法被のデザインなど魅力がたくさんあります。詳しくは公式ホームページへ。

村上大祭 公式ホームページ

村上の町を舞台に、受け継がれてきた伝統が今も息づく「村上大祭」。

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